21世紀型のお笑いを創造中の僕が論争に終止符を打ちます。茂木健一郎氏の「日本のお笑いオワコン論」が正しい理由

こんにちわ。Carrot Inc.のPePeです。

茂木健一郎氏が「日本のお笑いは終わっている」とツイートしてから、ネットやテレビで様々な意見が飛び交いました。

村本大輔氏のAbemaの番組での直接議論で茂木氏の態度が軟化し、有吉弘行氏・太田光氏・松本人志氏と既存の日本のお笑い芸人が茂木氏へ反論したことで、この一件は収束しているかのように思われます。

しかしながら、既存の日本のお笑い芸人のコンセンサスに対して、21世紀型のお笑いを創造中の僕としてはまったく的外れだなと思いましたので当記事を書くことにしました。


茂木氏が本当に伝えたかったことは
『“情報革新”“グローバリゼーション”という21世紀の世界的な社会構造の変化に対応する必要性が出てきていて、日本は社会・ビジネスなどで遅れをとっていても何とか対応しつつあるが、既存の日本のお笑いはその気配がまったく無いので残念だ』
ということでしょう。


確かに茂木氏はお笑いの専門家ではありませんので、既存の日本のお笑いに対して歯がゆさを感じていても、それを論理的に解説まですることができなかったのだと思います。
しかし、その茂木氏が発するキーワードの端々から僕は「このことを伝えたかったんだろうなぁ」と分かります。
なぜなら21世紀型のお笑いを創造中の僕が、20年近く既存の日本のお笑いに対して感じていたキーワードと合致するからです。
文明論やビジネスに詳しい方なら分かるかと思いますが、それらのキーワードは「イノベーション」「ムラ社会」「多様性の尊重」「国際水準」「批評性」「コンテクスト」「大きな物語/小さな物語」「メタ認知」などです。
当記事では茂木氏が本当に伝えたかったことを解説していきたいと思います。



【茂木氏への反論トップ5に対する僕の雑感】
本題に入る前に、まずは既存の日本のお笑い芸人のコンセンサスと、それに対する僕側の視点での雑感を書いていきます。松本人志氏に「この人に言われても刺さらねぇぜーっ」と言われないために、参考として僕がつくった映像コントも貼っておきます。

(1)日本のお笑いは高度なことをしていて、外国よりもレベルが高い。
⇒日本のお笑いの“面白みが高度”なのは事実ですし、僕も大好きです。しかし“面白みが高度”でもイノベーション(劇的な付加価値向上)が起きなければ、他の娯楽やサービスに時間を奪われ、それは社会と切り離された伝統芸能になってしまいます。ビジネスで例えれば、日本がガラケーの技術力を磨いてばかりのところへ、全く新しいコンセプトを持った「iPhone」がアメリカで誕生してガラケーは淘汰されました。ビジネスでのイノベーションの中心は「技術」から「コンセプト」に移っています。同様に僕は「漫才・コント・スタジオコント」という何十年も続くフォーマットで、ガラケーでいえばボタンの配置変更程度の微妙な技術の高度化をさせている既存の日本のお笑い界へ、全く新しいコンセプトを持つ「映像コント」を投入しました。

■映像コント『カフェタイム』/Mr.Party
映像作品としてコントを再定義することで、高度で複雑なことをせずに面白みにイノベーションを起こしています。


(2)お笑いの内容は人それぞれの好みだし、日本のお笑い芸人は日本の視聴者の好みに最適化しているだけである。
⇒もちろんそうでしょう。しかし「日本の視聴者」の設定に誤りがあります。
これまでのお笑い芸人のアイドル的な側面が好きであった未成年女子は「お笑い芸人」ではなく「YouTuber」を見るようになりました。
サブカル的な内容が好きな未成年男子は「お笑い芸人」ではなく「ニコ動」「2chまとめ」などを見るようになりました。
情報感度の高い成人は「お笑い芸人」ではなく「Netflixで海外映画やドラマ」「クーリエジャポン」「恋愛工学」などを見るようになりました。
つまり、テレビを軸に活動する既存の日本のお笑い芸人は「成人以上の情報感度の低い人」と「これまでのお笑いが好きな人」のみを視聴者としているのです。
僕は情報感度の高い成人に向けてお笑いを創っていきます。その中には茂木氏が仰るような政治経済批評を題材とした番組も計画しています。

■映像コント『CEO』/Mr.Party
「IT環境が整って低年齢化する起業家たち」という背景をもとに、情報感度が高いグローバルなビジネスパーソンが笑える題材を使用しています。


(3)「お笑い芸人」じゃなくて「テレビ局」のコンプライアンスが問題である。
⇒もちろんそうでしょう。しかし既存の日本のお笑い芸人の自主性が低いのが問題なのだと思います。政治経済の題材だけでなく、テレビ以外で芸人主導で制作されたコンプライアンスを気にしないコンテンツや、何かしらの革新的なコンテンツがもっとあっても良いのに明らかに少ないです。
例えば、サンドウィッチマンさんは「スタジオコントは芸人の夢」と言ってますが、実際に僕は初期費用として数十万円で機材を揃えて、後はスタジオ・衣装道具は1本あたり1.5万円ぐらいで映像コント(スタジオコント)を作ってるんですよね。
理由は簡単でして、既存の日本のお笑い芸人は、むしろ「コンプライアンスがガチガチのテレビ番組のコマとして、人気者として活躍したい人ばかり」だからです。要するにすでに出来あがった大企業でリクルートスーツを着て就職活動をして、そこで従順に与えられる作業をこなす「サラリーマン芸人」ということです。
だから僕はWebを中心にするなど活動スタイル自体が全く異なる「ベンチャー芸人」になりました。
(田村淳氏や西野亮廣氏やオリラジは若干その気配がありますがそれが“お笑い”で無いのが惜しいところです)

■映像コント『パパはサンタクロース』/Mr.Party
テレビ的なポップなスタジオコントに、映像作品としての時間経過の表現を加えて、たった数万円で制作しました。


(4)日本のお笑いの方が外国よりもよっぽど多様性がある。
⇒これは主に太田光氏の発言ですが、そもそも茂木氏の主張を読み違えています。茂木氏は「日本のお笑いが“人権や自由、社会の多様性の尊重”などに触れていないこと」を指摘しています。なので「お笑い自体の多様性の有無」の話ではないかと思います。
今回の茂木氏の指摘を「政治経済批評ネタをやればいい」とだけ捉えることが誤りです。問題となる炎上ツイートがたまたまそのことに絞って触れていただだけです。
例えば政治経済以外にも「LGBT」「人工知能vs労働者」「現実vs仮想現実」「ビットコイン」「自動運転車の責任所在」など様々な現代的な題材があるのに既存の日本のお笑い芸人は全くネタにしません。
どう見ても既存のお笑いの視聴者・芸人・テレビ制作者は「芸能などの内輪ネタ好きな人達の集まり」ですし、現代的な題材や社会に関心がありません。
詳細は後述しますが、僕は「21世紀」「グローバル」の現代的な題材をメインに創っています。

■映像コント『カミングアウト』/Mr.Party
LGBTを題材にして「さらなる多様性の尊重」と「偏見を持ってしまう私たちの自覚」をお笑いで表現しています。


(5)日本は平和だし、自身の経験から内発されたリアルな題材でないとお笑いのネタにしてもダメだ。
⇒これは主に村本大輔氏の発言ですが、そもそも様々な現代的な題材に興味が無くて、当事者意識が芽生えていないだけの話だと思います。
村本氏は例えとして「自身の地元に原発があったから僕は原発問題をネタにはできるけど、その他の地域の方がネタにしてもリアルではない」のような旨を言っていました。
まず僕たちは国民として税金を収めていますし、普通に情報収集してれば国民という当事者として原発問題について考えるべきことはたくさんあるはずです。少し難しいことを言れば、メディアをもとに発達してきた国民国家は「経験」だけではなく、「テキスト」「画像」「動画」の情報も当事者として受け取ることが前提です。ましてや、その国の電波を使用したテレビで情報発信する人はなおさら当事者意識が必要だと思います。
それに裁判を思い描いてみれば分かりますが、何かの事件の被害者・加害者だったりする「直接的な当事者」は情緒的になってフェアな判断ができないからこそ、裁判員・検察官・陪審員・弁護士などの「間接的な当事者」の判断が必要なのですよね。
原発問題も同様で「原発反対派の新郎と原発推進派の新婦による結婚式のコント」などがあれば、双方の主張の潤滑油になって、まるで怨嗟でもあるかのような深刻な対立になっていなかったと思います。
何よりも若年層やシングルマザーの貧困化に象徴されるようにとても「平和」とは言えない状況になりつつありますし、諸外国との世界情勢にさらされている日本がこれまではたまたま「平和」であったとしても今後は日本単体で「平和」なことはありえません。

■映像コント『彼女をテロリストにさせる方法5選』/Mr.Party
世界規模で問題となっているテロを題材に対して、メンバー勧誘をするテロリスト側に立ってメタ認知を入れるとともに、テロ以外の国とのライフスタイルの違いをギャグ化しています。



【既存の日本のお笑い芸人とはどういう人達か】
長くなりましたが本題に入ります。
まずは下の句である『日本はビジネス・社会などで遅れをとっていても何とか対応しつつあるが、既存の日本のお笑いはその気配がまったく無いので残念だ』の部分を解説していきます。

そもそも「既存の日本のお笑い(≒テレビのお笑いと定義)」はどういったものでしょうか。これを象徴するキーワードは村本氏もAbemaの番組で仰っていたとおりに「ムラ社会」です。ムラ社会とは、大辞林から引用すると「有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」です。ムラに例えながら見ていきましょう。

「既存の日本のお笑い村」は、芸人が寄席からテレビへと活動の場所を変えることから始まりました。そこではBIG3ビートたけし氏・明石家さんま氏・タモリ氏)やダウンタウン爆笑問題のような有力なスター達が誕生しましたよね。つまり村の中に村長達が出来たわけです。村長達は日本の政治経済社会に斬新な視点を持ってお笑いにイノベーションを起こした人達です。
そんな村長達に憧れて「村人になりたい」と志願する者たちが大勢現れます。それが たけし軍団NSC生です。しかし村人達を管理する村のシステムは「村長や先輩への絶対的な服従」でした。それでも多くの人は「憧れの村長と近寄るために村人になりたい」と考えて村人になりましたが、一方で「村長みたいに政治経済社会に斬新な視点を持ってお笑いにイノベーションを起こしたいから村人になりたい」と考えていた人達は辞めてしまいました。
何故なら後者の考えを持つ人達はそんなシステムではイノベーションが起こせないことを知っているからです。例えば村人の1番を決める大会「M-1グランプリ」「キングオブコント」「R-1ぐらんぷり」ではフォーマット自体が決まっているし、司会であるダウンタウン村長からドツかれたりするし、最初から村長を超えることが期待されていないシステムだと分かります。後者の考えを持つ人達は今はお笑い村ではなく、イノベーションが起こしやすい環境を持つIT村や金融村などにいます。
(ちなみに僕も後者の一人です。東京NSC11期生とヒューマンアカデミー3期生として全生徒と会話をしましたが、まじでサラリーマン芸人ばかりだと驚愕しました。)

そんなお笑い村の村長と村人は、テレビ村の村長と村人ともどんどん仲良くなって、ほとんど合併した「テレビのお笑い村」になります。
特にスマホが普及するまでは一部の能動的で情報感度の高い人以外は、テレビからしか情報を受け取っていませんでした。そこでは芸能情報(芸人を含む)を好む日本人が多数派を占めていたことから、その多数派の周辺の人達(なんとなくテレビを見ている層)にも芸能情報が伝わっていました。
ここで日本のお笑い芸人に重宝されたのが、この世で一番笑いを取りやすい芸能情報の内輪ネタです。何故ならお笑いの基本的原理である「緊張と緩和の落差」の「緊張」の部分が幅が大きいからです。例えばそこらへんのオジサンが屁をこくのならそんなに笑えないかもしれませんが、威厳を持つ自分の担任の先生が屁をこくのなら笑えたりしますよね。

こうして、既存の日本のお笑い村にはイノベーションを起こす村人が排除されて、芸能情報の内輪ネタしかできない村人がテレビというメインステージで活躍して幅を効かせるようになりました。
また、あれだけ輝きを放っていた村長は、村で持ち上げられることに慢心してしまったようです。今ではグローバル化についていけずに世界はおろか日本にも政治経済社会に斬新な視点を持てなくなってしまい、数十年前を最後にお笑いのイノベーションを起こしていません。

ちなみに、このことはお笑いの村長であるビートたけし本人も最新の書籍『テレビじゃいえない』でこう言っています。
「ビッグ3に取って代わろうとするなら全く新しいやり方を考えなきゃいけない。でも、いまのテレビ業界じゃそんなチャンスはなかなか与えられないからね。」

さらに、テレビの村長である佐藤義和氏も書籍『バラエティ番組がなくなる日』でこのような発言をしています。
「現在のお笑いタレントたちは、時代を変えていこうとする気概、気負いのようなものがまったくない。ないことが悪いとはいわないが、新しい時代をつくっていくための武器としての破壊力もあまり感じられない。いいとこなしの状況から、自分たちの手で革命を起こした1980年代の東京のお笑い芸人と、おいしいと思って頑張ってきたのに、状況が悪化しつつある現在の若手お笑いタレントたち。その状況は、まったく逆といってもよい。」



【今なぜ、お笑いに「世界水準」が求められているのか】
続いて、上の句である『“情報革新”“グローバリゼーション”という21世紀の世界的な社会構造の変化に対応する必要性が出てきていて』の部分を解説していきます。

“情報革新”“グローバリゼーション”が21世紀の世界的な社会構造の変化をもたらしていることに異論がある方はいないかと思います。どんな文明論やビジネス書を開いてもこれ以上の大きなトレンドはないですし、特に詳しい知識が無くとも内容は分かると思います。ではこれらの事象がお笑いに影響していく様子を、“情報革新”“グローバリゼーション”の民衆化を進めたスマホを起点にして、「題材」「フォーマット」「面白み」に分けて具体的に見ていきます。

(1)お笑いの「題材」に世界水準が求められる理由
スマホでは、テレビ以外にも情報受信をするチャンネルが出来て、未成年なんかはYouTuberの投稿を見て笑ったりするようになりました。YouTuberとその視聴者の間では「ヒカキンの家に突撃!家賃がいくらか聞いてみたけど…!」なんて動画が100万再生されるほど内輪ネタが進んでいます。また、YouTuberみたいに自覚的にコンテンツを提供してなくても、インスタグラムやLineなどのSNSで友達同士の変顔を見て笑ったりしています。
つまり、これまでの芸人やテレビが得意としていた内輪ネタ(題材)は、芸能情報の「国家単位」から「個人単位」の内輪ネタになっていっているのです。そしてYouTuberや友達同士などのスマホに最適化された内輪ネタに多くのシェアを奪われていきます。

一方で、情報感度が高い成人はスマホでニュースを読みます。今や政治経済社会のニュースは一国単位では考えられない事象が増えています。例えば、政治ならばテロや難民や各国の動向、経済ならば金融やITもビジネス活動範囲も国に隔たりはありませんし、社会ならば疾病や温室効果ガスも世界規模です。また、政治経済社会などのパブリックな情報なんか必要無かったとても、iPhone・スタバ・クロックスなどビジネスや文化のグローバル化に応じて各国のライフスタイルが均一化していますよね。テレビと違って、スマホならばこれらの情報にいくらでも能動的にアクセスできますし、英語圏の情報も入ってきやすくなりましたし、国外の情報が得やすくなりました。
つまり、内輪ネタ以外の題材である、パブリックな題材やライフスタイルの題材は、「国家単位」から「世界単位」になっていっているのです。ここで日本の既存のお笑いが何も対応しなければ、グローバルな題材を扱う外国のお笑いやコメディにシェアを奪われていきます。
グローバルな題材については、グローバルに巨大化した機関や企業や問題点が現れつつある中で、それらが暴走しないためにもお笑いによる批評性が求められます。百歩譲って、批評性が必要無かったとしても、それらの題材の矛盾点などを暴くことで素材を活かした刺身のようなお笑いを創れますし、それはメタ認知に繋がって議論の潤滑油になるのです。
例えば、Huluではアメリカのコント番組『サタデー・ナイト・ライブ』を観れるときがありますが、政治ネタ以外はグローバルな題材ですのでほとんどの内容を理解できます。ハリウッド映画や海外ドラマを観るように、お笑いに興味ないような普通の日本人が普通に楽しめます。


(2)お笑いの「フォーマット」に世界水準が求められる理由
スマホでは様々な動画を観ることができます。アマチュア的なYouTuberやニコ動だけでなく、最近ではNetflix・Hulu・dTV・U-Next・GYAO!などでプロ品質の動画を観ることができました。特に映画やドラマは誰もが払える安価な月額で無制限に観られるほど作品が充実しています。それらは映像作品として非常にリッチで良質なものです。
また、スマホでは様々なアプリを無料または数百円程度で楽しめます。ゲーム・書籍・雑誌も同じく無制限に観られるほど作品が充実しています。それらは娯楽作品として良質なものがたくさんあります。もっといえばアプリだけでは収まらず、ネットの情報共有が強化されてきて、これまでにないスポットやイベントや旅行などの娯楽を享受できるようになりました。
翻って、日本のお笑いはどうでしょうか。以前は『ドリフの大爆笑』『ごっつえぇ感じ』などのテレビの資本を使用したリッチなスタジオコントが常にありました。しかしやがてスタジオコントの内容はネタというよりバラエティ化していき、番組自体もなくなっていき、現在では『LIFE』ぐらいしかありません。そして今では「舞台の上で二人でやるコント・漫才(≒既存の日本のお笑い)」のみになっています。
ここで考えてみてほしいと思います。例えばピクサーなどの映画や、『プリズンブレイク』などの海外ドラマや、『マリオラン』などのゲームや、『Ultra Japan』などのイベントが無限の中に、「舞台の上で二人でやるコント・漫才(≒既存の日本のお笑い)」を3カメで撮影して映像作品にしたものが、同じスマホに並んでいる状況を。とても心もとないと思いませんか? もしそう思わないのであれば、あなたは「お笑いが好きな人」だと思います。もちろん僕もその一人ですが、多くの人はそうではありません。そして「お笑いが特には好きではない多くの人」に向けてアプローチできなくなった芸は、新しいライフスタイルに馴染んでいない「伝統芸能」というカテゴリに入ります。語弊を恐れずにいえば、テレビの発達で「落語」が伝統芸能化したように、ネットの発達で「舞台の上で二人でやるコント・漫才(≒既存の日本のお笑い)」は伝統芸能化しています。

では、このようにリッチな娯楽がひしめく状況でも耐えうるお笑いは何か。それが僕が推進している「映像コント」です。映像コントとは「映画やドラマやCMやMVで蓄積された映像効果をコントに応用することで、お笑いにかつてない驚きをもたらす映像作品としてのコント」です。単純にいえば、映画やドラマと同じフォーマットでコントを創れば、リッチな娯楽作品が並ぶスマホというライフスタイルでも人々はお笑いを観てくれるというわけです。それだけでなく、何よりも映像作品ならではの映像効果を用いることでコントにイノベーションを起こせます。例えるならば、ゲーム業界でインターフェイスをリモコンにしたことでWiiが生まれ、タッチペンにしたことでNintendo DSが生まれるようなものです。そこで作られる作品はこれまでのものと一線を画します。


(3)お笑いの「面白み」に世界水準が求められる理由
日本のお笑いの「面白み」の部分は非常に高度です。しかし、日本のお笑いの面白みは高度にも関わらず、ほとんどが「センス」での面白みです。
それを象徴する芸人が松本人志氏です。彼は茂木氏に対するディスとして「センスがない」と言い放ちました。つまり彼の中では「お笑い=面白み=センス」なのです。その代表的な作品は日本のお笑いファンで伝説として語り継がれる『VISUALBAM』ですし、立川談志氏的にはセンスを極めたこのようなお笑いを「イリュージョン」と呼びます。
このセンスによるお笑いは、これまでの日本のように単一社会(ハイコンテクスト)で同じ価値観や常識や体験をしてきた「あ・うんの呼吸」で成り立つものです。だから既存の日本のお笑いは国外へ輸出することが出来ないのです。

一方で、特にアメリカのお笑いは「構造」による面白みが高度化しています。構造によるお笑いとは「脚本ベースで笑えるもの」と捉えると分かりやすいかと思います。その場の雰囲気や空気に関係なく、脚本に書かれているそれぞれの関係性や概念で面白みを発生させているわけです。
この構造によるお笑いは、異なる価値観や常識や体験をしてきた人達(ローコンテクスト)でも十分に成り立つものです。だからアメリカのお笑いは国外へ輸出することが出来るのです。


世界(先進国)を一つの単位にするグローバル社会とは当然アメリカ的な「ローコンテクスト社会」ですから、「構造」の面白みによるお笑いが圧倒的に優位です。それどころか今後のグローバル社会において欧米的な理念型のルールがお笑い界に適用されるのは間違いありません。
そのルールをすでに適用して長い歴史がある芸術や映画を見ればわかるとおり、「題材(と批評性)」「フォーマット(のイノベーション)」「面白み(表現のコンテクスト)」を踏まえていない表現は趣味的なもの(アウトサイダーアート)と見なされて歴史に残ることはありません。
つまり21世紀以降はおろか、20世紀以前の日本のお笑いも紀元前の“なにか”みたいな扱いにされる危険性だって孕んでいるわけです。
僕としては、この世界のお笑い界のルールに従った上で、松本人志氏や立川談志氏で培った「センスの面白み」をうまく武器として適用させて、世界で天下をとりたいと思います。
※一方でアメリカのお笑いのベースとなる強みはスタンドアップコメディでしょう。
※余談ですがディズニー最新映画『モアナと伝説の海』は完全にこの「祖国の物語を愛しつつグローバル市場に出て活躍する人」を題材にしてます。



【世界ではお笑いのオリンピックが開催されている】
それでは茂木健一郎氏の「日本のお笑いオワコン論」が正しい理由の具体的な結論を言います。
『これまでは日本のお笑いがムラ社会であったとしても全く問題はなかったが、今後このままでは日本のお笑いは伝統芸能化して規模が極端に縮小する。なぜなら内輪ネタは個人にシェアを奪われ、パブリックなネタは映像コントを中心としたグローバルなお笑いにシェアを奪われるからだ。そして新しいライフスタイルに馴染んだそれらが21世紀以降の多様性を尊重する豊かな世界への発展に大きく寄与する。』

最後に今後のメディアの環境などを考えて、既存の日本のお笑い芸人(または予備軍)が、自分がやりたい要素に応じてどのような活動をすべきかを、四つの領域に分類して整理したいと思います。

第一に、これまでのお笑い芸人のように内輪ネタを行って、視聴者の友達として私生活を切りうるようなバラエティを行いたい人は「YouTuber」になるのが良いと思います。なぜならこういった視聴者のニーズはリッチな映像や企画よりも、近い距離で毎日YouTuberを観ていたいというものだからです。

第二に、これまでのお笑い芸人のように面白おかしく番組やイベントを仕切りたい人は「司会者」になるのが良いかと思います。これまでは番組の司会者になるにはお笑い芸人を経由する必要がありました。しかし今はブログやYouTubeSNSで発信ができますので、お笑い養成所ではなく、司会者やパーソナリティの専門学校に通ってプロ司会のスキルを身に着けて食い扶持を確保し、その上で面白さをネットで発信して番組を持つなど、もっと効果的な経由ができるようになったからです。

第三に、これまでのお笑い芸人のように舞台の上で二人でやるコント・漫才、または一人でピン芸を行いたい人は伝統芸能を伝えるお笑い芸人をやれば良いかと思います。落語と同様に常に一定のニーズがなくなることは絶対にありません。


そして第四に、新しいお笑いをやりたい人は僕のところに来てください。

“情報革新”“グローバリゼーション”を受けて、今、世界のお笑いではオリンピックのようなものが開催されてつつある状況だと思ってください。
そんな中で「お笑いで天下をとりたい!」のであれば、現在の最も大きなイノベーションである「映像コント」を僕と一緒に極める必要があります。

「映像コント」は僕が自力で考えた概念ですが、のちに国外でも制作者が多数いることが分かり、世界的には車輪の再発明的だったということを僕は自覚することになりました。
代表的なものでは前述の『Saturday Night Live』です。Saturday Night Liveはスタジオコントを主に行ってきましたが、一眼レフ的なカメラを切り返す映画スタイルのスタジオコントが生まれ、2005年からは『SNL Digital Short』というシリーズで映像コントを行っています。またWebで活動する有名な映像コント団体としては『Smosh』『College Humor』『Funny or Die』などがあります。

■映像コント『銃のCM』/Saturday Night Live

■映像コント『9人のモンスター上司たち』/Smosh

■映像コント『すべてのことができるアプリ』/College Humor

■映像コント『映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」で使用された特殊効果』/Funny or Die


もしもあなたがビートたけし氏や松本人志氏や太田光氏みたいになりたいのであれば、彼らのライバルであった「萩本欽一」「ウッチャンナンチャン」「くりーむしちゅー」は日本の既存のお笑いにはいません。上記のような映像コント団体があなたのライバルです。

グローバル社会はムラ社会とは違って、文明の発展に応じて常にお笑いを進化させ続けさせないと「天下」は1年で終わってしまいます。僕は自力で「映像コント」を考えて活動してきたので、映像コントでオリジナリティを生み出して「天下」をとり続けるための方法論をたくさんあなたに提示できます。

ディズニーのような世界観で、ピクサーのような作品性で、avexのようなエンターテイメント感で、Appleのような革新性で、任天堂のようなワクワク感で、ソフトバンクのような志で、K-POPのような色気で、キングギドラのような黒船感で、X JAPANのような破天荒さで―――。

常に進化し続けるスリリングなお笑いの旅にともに出かけましょう。



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